Azel's Note

とある高校生の数学ノート。あらゆる問題に対する、感覚と論理の双方向からのアプローチの記録。

Beyond all restrictions

広く浅くが良いとか、狭く深くが良いとか、そういう論争はよくある。

ステレオタイプな東大京大の学風として、それぞれ「広く浅く」「狭く深く」というのがあるからなのか、こういった論争は東大京大論争にも結び付けられている節があって、明らかにそれを意図した編集のなされたテレビ番組だってある。

非常に単純な疑問。何故「広く深く」を目指さないのだろうか。

いきなり自分の主張を否定するようだが、実際的な話、一人の人間が全知全能すなわち「広く深く」というのは到底不可能だろう。

ならば、「広く浅く」の限界まで、「狭く深く」の限界までなら、一人の人間がたどり着けるというのか。

答えは否ではないか。人が「問題を創造する」という強い力を持った存在である以上、幅にも深さにも限りはない。

どちらの方向に進もうとも、その端点にたどり着くことなどない。虹の根にも頂上にも辿り着けないように。

『「広く浅く」か「狭く深く」か』という決着の見えない論争、決着がついたとしても恐らく誰もが損も得もしない論争に時間を費やすなら、自己満足でいいから、ただ黙って自分の領域を広げていくために時間と労力を使うべきだ。

そしてそうある人は素敵だし、自分もそうありたいと常々思うのであった。